戦国武将、徳川家康ってどんな人?チャネリングしてみました!

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戦国武将も、
明智光秀、織田信長、豊臣秀吉ときたら、
徳川家康をチャネリングしないわけにはいかないでしょう。

ということで、
今日は、徳川家康にスポットをあててみます。

戦国武将、徳川家康ってどんな人?チャネリングしてみました!

徳川家康の基礎知識

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。
旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。
三英傑のひとり。

家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。
通称は次郎三郎のちに蔵人佐。
諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。

勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。
本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、
天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川家康が生まれた三河は
わたしが若い頃、

岡崎城の側の駐車場に
しょっちゅうお世話になりましたが、
岡崎城には
あまり興味がなく一度だけ行った記憶のみで
他は全く記憶がありません。

国道248号線沿いの
大樹寺もよく側を通ったと言うのに、
一度だけ行ったという、
それもあまり記憶がない。

今、考えると
非情に勿体ないことをしたと思います。

興味がないということは、
いくら側に宝が落ちていても
まるで気が付かない。

興味を持つということは大事ですね。

徳川家康をチャネリングしてみました!

(わたし)

100年にもわたる
戦国時代が過ぎ、
天下統一が終わると、

264年の長きにわたって、
江戸を本拠とした
江戸幕府(徳川幕府)が始まるわけですけど、

江戸時代というと
平和というイメージがあります。

この初代征夷大将軍徳川家康という方は
どんなお方だったのですか?

(高次元)

今度は徳川家康さんですね。

この者は非情に頭が良い。

そして、秩序を重んじる。

規律、秩序、
この者にとって戦国時代は、
非情に生きにくく、
人に合わせ、
事なきを得ることばかり考えておった。

戦には行くが、
早く終わらせることを考えておった。

今川義元の援軍に守られて
本人は戦の大将となるも
率先して行くことはなかった。

保身に回ったのだ。

戦というものが
そもそも何故起こるのかに着目し、
根本を正せば戦は起こらないと考えた。

なので、

秩序を決めてしまえば
戦は起こりえないので、
世襲制にこだわった。

この者は
人の影に隠れて、
着々と根回しをした。

この者の
ずるがしこさとも取れるが、

それは、
それからの江戸幕府を作る上で
ものすごく大切なことなのだ。

この者は憎めない人です。

*****************

今までの戦国武将とは、
ちょっと違うなんだか人間くさい人といった印象ですね。

最初から征夷大将軍としての
備わりがあったということでしょうか。

因みに、
これは単なるわたしの妄想ですので、
どうか寛大に受け止めて頂けると嬉しいです。

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