アンジャッシュ渡部の不倫から音楽家の不倫関係で有名なのは?ワーグナーとドビュッシー

音楽 生き方

最近、テレビを賑わせているのは
アンジャッシュの渡部さんですね。

佐々木希さんという
とてもきれいな女優さんを
お嫁さんにもらっておきながら、
結婚前から不倫関係を続けていた相手がいたとは
びっくりです。

それも、
都心のきれいな場所の多目的トイレを使うとは
何とも、
気持ち悪いというか、
ただの排泄行為だったのか、
不倫のお相手の方も、
そんな扱いをずっとされていたわけですよね。

ちょっと渡部も渡部なら、お相手もお相手って感じがしますが、

皆さん、いかがお思いですか?

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アンジャッシュ渡部の不倫から音楽家の不倫関係で有名なのは?ワーグナーとドビュッシー

不倫は昔からありますよね。

国によっては、
一夫多妻制の所もあり、

昔の日本も
何人もの妾を持っていたものです。

珍しいことでも何でもありません。

大体、人間は男と女しかいないわけですし、

有名な所では
フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョン、

クラシックではチャイコフスキーなんかは
同性愛者ですし、

下のことになると、
人格がなくなる人もいますから、
困ったものです。

そこで、
音楽家の中にも
かなりの女性とのスキャンダルがあった人がいらっしゃいます。

ドビュッシーなんかは
不倫も物凄いものですし、

ワーグナーは、
ハンス・フォン・ビューローの奥様でフランツ・リストの娘のコジマを
寝取っちゃいました。

ワーグナーの基礎知識

RichardWagner.jpg

1871年
基本情報
出生名Wilhelm Richard Wagner
生誕1813年5月22日
出身地ザクセン王国の旗 ザクセン王国 ライプツィヒ
死没1883年2月13日(69歳没)
イタリア王国の旗 イタリア王国 ヴェネツィア
ジャンルロマン派
職業作曲家、指揮者
活動期間1832年 – 1883年

ワーグナーのサイン

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, ドイツ語: [ˈʁɪçaʁt ˈvaːɡnɐ]、1813年5月22日 – 1883年2月13日)は、
歌劇の作で知られる19世紀のドイツの作曲家、指揮者、思想家。ワグナーヴァグナーとも書かれる。

ロマン派歌劇の頂点であり、また「楽劇王」の別名で知られる。
ほとんどの自作歌劇で台本を単独執筆し、理論家、文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした中心的文化人の一人でもある。

二番目の妻コジマについて

コジマは少女時代からワーグナーの才能に感銘を受けていたが、ワーグナーの支持者であったビューローと結婚し、2人の子を儲けていた。
ところがこのころワーグナーと深い仲となり、ついにワーグナーの娘イゾルデ始め二人の子どもを産む(2人とも離婚していない)。
1866年ワーグナーの正妻ミンナが病死。
1870年コジマはビューローと離婚してワーグナーと再婚した。
そしてビューローはワーグナーと決別し、当時ワーグナー派と敵対していたブラームス派に加わった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この時に書かれた曲が『トリスタンとイゾルデ』

官能的な音楽です。
クライマックスは正しく
クライマックスを想像して書かれているように思いますよ。

ちょっと、目線を変えてお聴きくださいね。
結構、面白いですよ。

ドビュッシーの基礎知識

Claude Debussy ca 1908, foto av Félix Nadar.jpg
基本情報
出生名Achille Claude Debussy
生誕1862年8月22日
フランスの旗 フランス帝国、サン=ジェルマン=アン=レー
死没1918年3月25日(55歳没)
フランスの旗 フランス共和国、パリ16区
学歴パリ音楽院
ジャンル印象主義音楽
職業作曲家
活動期間1884年 – 1916年

 

クロード・アシル・ドビュッシーClaude Achille Debussy フランス語:[klod aʃil dəbysi], 1862年8月22日 – 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。
長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれることのない自由な和声法などを用いて独自の作曲を実行し、その伝統から外れた音階と和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家である。

ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。
しかし、本人は印象主義音楽という概念に対して否定的であり、テクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃い。

なお、名前は生後1890年(28歳)まで「アシル=クロード」、1890年(28歳)から「クロード=アシル」である。

【人物】

気難しい性格で、内向的かつ非社交的であった。
音楽院に入学してからは伝統を破壊しかねない言動(不平不満や文句)をしていたため、ギローなど担当教師らを困らせていた。また、女性関係においてのトラブルも絶えなかった。元々18歳より弁護士の人妻マリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人(Marie-Blanche Vasnier)と8年間の情事のあと別れ、1889年から(Rue Gustave Doré)にて同棲を続けていたガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)とは、自殺未遂騒動の末に1898年に破局を迎えた。
同じ頃、ソプラノ歌手のテレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)とも情通している。
翌年にはギャビーの友人であるマリ・ロザリー・テクシエ(愛称リリー)と結婚するが、1904年頃から、教え子の母親、銀行家の人妻であるエンマ・バルダックと不倫関係になり、
リリーはコンコルド広場で胸を銃で撃ち自殺未遂となり、離婚する(1905年)。
この事件がもとで、ドビュッシーはすでに彼の子を身ごもっていたエンマとともに一時イギリスに逃避行することとなり、友人の多くを失うこととなる。
長女クロード=エンマ(愛称シュシュ)の出産に際しパリに戻り、エンマと同棲した(1908年に結婚)。
シュシュはドビュッシーに溺愛され、『子供の領分』を献呈された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドビュッシーに至っては
不倫も生半可なものではなく、
人を死にも追いやるような方だったんですね。

でも、違った見方をするとすると、
それだけ魅力溢れる人だったとも言えるわけです。

私がエロスを感じると思ってたら、
正しくエロスの曲だった~。

『牧神の午後への前奏曲』

まとめ

音楽家に限らず、
芸術家には変人が多いと言われますが、

書かれたときの背景を知ると、

今回の様に
不倫している時に書いた曲を
聴いてみると
より官能的に聞こえたりしますよね。

面白いですね。

私はと言いますと、
意外なところで、

エルガーの『愛の挨拶』なんかは、
男性目線での愛の挨拶と思いますし、

ドヴォルザークの『スラブ舞曲』なんか
官能的過ぎて、
ある程度人生を歩んできた人じゃないと
表現するには難しい様に思います。

聴く角度を変えて
聴いていただけると

より楽しく聴けますよ。
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コメント

  1. apa より:

    へぇ!そうなんですね!ドビュッシーもそんなに不倫が多かったんですね。あんなに素敵な音楽をつくるだけ、ちょっと意外。でも、もちろん不倫はよくないことですけど、そうした人生の多様感(?)みたいなものが音楽に繋がっていたのかもしれないですね。そう考えると、本当に音楽って奥が深いですね(^^)

    • 桂川 ひづる桂川 ひづる より:

      ドビュッシーはどういう人なんだろう・・・
      って思いますよね。
      ピアノを弾く者としてなのか、私はチャネラーだからか、
      結構、露骨に表現していたりするのでびっくりします。
      他の奏者さんはどう思って演奏しているのかなぁ。

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